April Fools’ Day? No, April Marie Tinsley

はじめに

エイプリルちゃん殺害事件をエイプリルフールの時に思い出すのはなんとも不謹慎なのかもしれませんが、でも、思い出さないよりはいいのかな、とも思うと同時に、もっとこの事件の本質について多くの人に知って欲しいなと思い、今回この記事を書くに至りました。時は、3年前の夏、確か期末レポートを冷房をつけながら書いてた時だったでしょうか。一つのニュース速報がテレビにうつりました。


「「エイプリル・ティンズリー殺害事件の犯人逮捕」」


私(え、あれって確か30年以上も前の未解決事件だよな…)


そうなんです。エイプリルちゃん殺害事件は1988年4月に発生した事件で、アメリカのインディアナ州フォートウェインに住む事件発生当時8歳のエイプリル・ティンズリーちゃんが家の近所を歩いていたところを何者かが連れ去り、強姦して殺害した事件である。遺体は事件から3日後の、約32キロ離れた農村地帯で見つかったのです。

そして、その未解決事件の解決を再び思い出したのは2019年2月26日にテレビ東京で放送された「ありえへん∞世界」(美輪明宏、村上信五、丸山隆平、安田章大などが出演)で取り上げられていたからです。

問題1

さて、ここで、問題です。

インディアナ州はアメリカのどこにあるでしょう?

こうやって、勉強って視野を広げることができるんですよ(突然のマジレス)

アメリカの右!左!上!下!とか言うと、地理の先生に怒られますので、みんな東西南北で言おうね(経験談)

正解は「「中西部」」でした!!

スクリーンショット 2021-03-31 9.17.04

※写真はWikipediaより拝借

五大湖地域」とも言われています。写真の赤く塗りつぶされているところの北の部分。

問題2

さて、インディアナ州は、どのような由来で名付けられたでしょうか?

ドゥルルルルルルルルルル

正解は「「インディアン」」でした。

先住民をインディアンと呼ぶのに現在では物議を醸しているところもありますが、インディアナ州の由来は先住民インディアンから来ているところは覚えておいても損ではないでしょう。

このような風に、東大王のタレントさんや、クイズプレーヤーの方々などは知識を増やしていくとその昔聞いたことがあります。

本題

で、本題に戻りますが、このエイプリルちゃん殺害事件、どのようにして30年の捜査の迷宮入りを解決したのでしょうか?

それは、端的に言ってしまうのであれば、遺留物から採取されたDNAを用いて母系図を作成し、過去のDNAデータなどと結びつけて家系図を作る仕組みです。

で、議論はここからです。

議論1

一部の弁護士も、その「DNAマッチングサイト」は容疑者の特定にはつながるかもしれないけれど、他の用途に使用された場合、逆に「DNAマッチングサイト」が犯罪の温床になるのではないか、と苦言を呈しています。

日本で言うのであれば、虐待、DV、独親などから逃げている人が、この「DNAマッチングサイト」を悪用されて追いかけられると言う事件につながりかねません。

もっと言えば、自分にとって憎たらしい人がいて、その人の遺留物さえあれば、その人の家族を狙うことだって可能なのです。

シンプルに言って怖いですよね。それもサイバーテロやAIが進んでいるアメリカでこのサイトが公式化されてしまうと、もちろんそれを逆手にとった事件も爆増すると考えてもよいのではないでしょうか。

遺伝子系犯罪や遺伝子系の家族崩壊ストーリーは日本国内でも、世界でも作品の題材にされるほど、議論の価値に値するものであると、私は考えています。

皆さんはこの、「DNAマッチングサイト」に賛成ですか?反対ですか?

変な話、このお題って大学入試の小論文でも、大学入った後のレポートとかでも出されそうなお題なので、1回自分の中で自分なりに咀嚼した上で、両方の賛成、反対、で考えられる立場を考えて、それでもなお、なぜ自論はもう一方の立場を論破することができるのか、考えて見ると良いテーマだと私は思います。

議論2

もう一つ議論に値するな、と思ったことが、懲役80年を求刑された犯人は軽度の知的障碍、身体障碍者であったと言うことです。

ここで、二つの立場が出てくると思います。

1つ目が、障碍者であるのであれば、責任能力があるのかないのかを考えなければならないという立場です。

障碍者を健常者と同じ司法でさばいていいのか否か。これは、日本の司法においても議論が繰り返されているものです。いくら責任能力が低くても、無罪になるのはおかしいのか、それとも責任能力がない人には最悪は凶悪な犯罪でも無罪にして良いのか?

2つ目は、軽度の知的障害が有ると言えど、児童ポルノや殺害を行なったのならば、懲役80年は当然であると捉える立場です。

障碍者が犯人の時に日本ではしばしば議論されるのがこの立場です。この立場は障碍者差別につながっているのではないかと言う議論がしばしば起こります。

私は、「この表現こそが障碍者差別につながっているのではないか」と思っています。なぜなら、重度の知的障碍者と言うのは言い方が悪いかもしれませんが、「自分の意思では何もできない」から、完全に障碍者として扱われ、司法にかけられても「100%責任能力がない」とすぐに決まります。

しかし、軽度知的障碍者の方は、公私ともに、「あるときは障碍者に区分され、あるときは健常者に区分され」てしまうのです。

だったら、最初から知的障碍なんだから、障碍者の区分に入れてくれよ。と言う話になるでしょう?

よく、街中や施設などで「障碍者なんだからってなんでも片されるわけじゃない」って言われることもあるけれど、じゃあ、逆に

「健常者だから、全部障碍者のことを決めつけるのはおかしい」

と言う、大ブーメランが飛んでくる人の方が多いと思うんです。

当事者にしかわからないこと、当事者の家族と言う第二種の当事者にしかわからないことはたくさんあります。それを本当の意味での赤の他人が、大きい主語「障碍者が〜」と影響力だけ持っている状態で話すことはとても危険なことです。

さて、ここで、最後の質問です。

あなたは日本の裁判官です。ある日、軽度の知的障碍者が隣に住んでいる子供をわいせつの後殺害したとして司法にかけられました。あなたは、その担当裁判官となりました。あなたは、どのような理由から、どのような刑をくだしますか?

これも、大学入試問題や、大学でのレポート課題として出てきてもおかしくない内容だと思います。自分で字数を指定して、実際に一度書いてみてください。

そんなことを、このエイプリルちゃん殺害事件からは分かって欲しいと思い執筆しました。

コメントを残す

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。